読書好きな大学生を増やしたい! vol.10 ~あかはなそえじ先生の ひとりじゃないよ
こんにちは。GTPブログ担当あやかです。今回は読書企画第10弾です。
人はなぜ、自ら命を絶ってしまうのでしょうか?
人間は時には、
病気で余命宣告され、それでもできるだけ・・・ほんの少しでも長く生きていたい。
こんな気持ちになることもあれば、
生きるのがつらくて、自分で命を終わらせてしまいたい。
こう思うこともある。
一見、正反対の考えであるけれど、どちらも共通して”人”の気持ち。
この気持ちの違いは何??
その心理は複雑で、一言では説明できないものだと思いますが、さかのぼっていくと「自己肯定感」につながるのではないでしょうか。
自分の価値を認め、高めることができるようにするためには、
できないことに対して、「できること」でアプローチする方法を知る
ことが必要だと、今回本を紹介してくれる島田さんは言います。教育現場で子どもたちが自分自身を認め、自己肯定感を高めることが出来るようにするには、教員側のどのようなサポートが大切なのでしょうか。
今回紹介する本は、副島賢和(そえじままさかず)さんの「あかはなそえじ先生の ひとりじゃないよ」です。紹介してくれるのは、第5回参加者で第6回サポートメンバーである、島田桃子さんです。
月10冊以上もの本を読むという島田さんが選び抜いた1冊。この本からどのようなことを学び、考えたのでしょうか。
それではご覧ください。
自己紹介
こんにちは。セブGTP5thに参加した島田桃子です。
現在は、東京学芸大学教育学部にて特別支援教育を専攻している4年生です。
GTPに参加したのは2年生の春休みでしたが、私にとって大学2年生という学年は、「自分が教育について勉強することの意味」と向き合い続けた1年でした。
周りの友達が「教員」という進路に向けて着実に歩き続けている中、教員志望ではない自分は「なんで私は教育の勉強をしているのだろう」と迷走していた時期です(笑)正直、国際系のことや語学の方が興味あるかも…なんて思ってしまうこともありました。
そんな時期に、大学内の必修の授業で「病弱教育学」という授業がありました。教育学部に所属している方でもなかなか学ぶ機会のない分野ではないでしょうか。(実際私自身もこの授業で初めて病弱教育学について知りました。)その授業を担当してくださった副島先生との出会いによって、私の中での「教育を学ぶ意味」は大きな転換点を迎えました。
目の前に、入院している小学生の子どもが登場したとします。
突然の怪我により入院している子ども、慢性疾患により長期的に入院している子ども、体調変化が激しいために入退院を繰り返している子ども。
あなたはどんな気持ちになりますか?
「かわいそう」「まだ小さいのに...」「学校のことは考えないで治療最優先」このような気持ちになったのではないでしょうか。
私もそうでした。
私が今回紹介する本は、昭和大学病院内の「さいかち学級」を担当されている副島賢和先生が書いた『あかはなそえじ先生の ひとりじゃないよ』という本です。
この副島先生というのが、私が受けていた「病弱教育学」という授業を担当してくださった先生です。
「さいかち学級」とは、いわゆる院内学級と呼ばれる病院の中にある学級です。病院に入院している子どもたちの学習、教育の場となっています。
さて、入院している子どもたちにとって「学習」「教育」とはいったい何でしょうか。
治療を要する子どもたちにとって「学習」「教育」は必要ないのでしょうか。
入院や治療によって生活を制限される子どもたちが、自分のことを大切に思えないときがあるということは想像に難くないと思います。
「どうして自分が...」「こんな生活は嫌だ!」と、なかなか自分を受け入れることができず、肯定的な自己イメージを持つことが難しくなってしまうのです。
もしかしたら、みなさんにも肯定的な自己イメージを持つことが難しくなってしまった経験があるのではないでしょうか。
私自身も、自分に対して、肯定的な自己イメージを持つことがなかなかできない時期がありました。それは浪人をしていた時期です。思うような結果が出せない悔しさや、大学生になった友達がまるで華やかな遠い世界に行ってしまったような寂しさに押しつぶされそうになっていました。
「やめてしまいたい」「もう苦しい」「こんな弱い自分は嫌いだ」
そんな感情が自分の中でぐるぐるとしていました。
人間誰しも、「こんな自分はもういやだ」「つらい。逃げ出したい。」という負の感情を持つことはあります。そのこと自体は決して悪いことでも珍しいことでもありません。でも、どうしてもその感情に蓋をして、感じないようにしてしまうのもまた人間です。
肯定的な自己イメージを持つ、自分のことを大切にする、そんな余裕など少しもないという時もあります。
その時、必要なのは治療だけでしょうか...。
私がこの本の中で最も印象に残っている言葉は
“Doingの前に、Being”
という言葉です。
これは
何かが行える、何かができることではなく、そこに存在しているだけで価値があるということを伝える関わりをする
と副島先生は翻訳しています。
私の解釈は、ほんの少し違います。
「できないこと」に対して、「できること」でアプローチする方法を教えることが教育の役割
負の感情が現れた時、それを放出してもいいと思います。それを受け取ってくれる人は必ずいます。でも、伝え方によっては相手を傷つけかねないということもあります。
適切な伝え方を教えるのが教育の役割
だと私は思います。それだけではありません。
たとえば、固形物が食べにくい状態であるなら、小さく砕いて食べる方法を教える。
長時間座って勉強することが難しい状態なら、短時間で効率よく取り組める方法や、横になった状態で取り組める勉強方法を教える。
このような、
子どもたちの”Doing”に目を向けて、子ども自身が「自分にもできるようになる方法がある」と自覚できるアプローチ
をする関わりによって、子どもたちの中で“Being”の価値が大きくなっていってほしいと、私は思っています。
ただ、“Doing”だけに目を向けて自尊感情が見えなくなってしまっては、できるはずのこともできなくなってしまいます。子どもの中で“Being”の価値が高められるような関わりも大切です。
そして、入院している子どもたち、治療を要する子どもたちにとって「学習」「教育」とは、
子ども自身の中にある、
”Doing”と”Being”の価値の輝きを磨くもの
だと思います。
この本を読んで
教員養成課程に在籍している私は、システム的な教育に目が行きがちになっていて、教育の大切さを見失っていたように思います。この本を読んで、
「教育を学ぶことは、人を学ぶことだ」
と私の中に「教育を学ぶ意味」が生まれました。もっと教育の域を超えて、どんな環境にいる子どもたちも、「学習」や「教育」によって肯定的な自己イメージを持てる種があちこちに転がっている。私は、そんな世界をつくりたいと思うようになりました。
このブログを読んでくださった方の心に私の思いが伝わっていれば幸いです。
最後まで読んでいただきありがとうございました。
(GTP5thの卒業式にて、島田さんと教え子たち)
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いかがでしたか。”Doing”と”Being”について著者と島田さんの捉え方が違う、という点でも大変興味深いお話でした。同じ本を読んでも感じ方が違うように、人間1人1人考え方や、得意なこと・苦手なこと、全て異なるのです。
できる。できない。で終わらせるのではなく、それぞれに合った方法に置き換えていくことが大切だと改めて考えさせられました。
また、島田さんと同じく教育を学んでいる私にとって、「教育を学ぶことは、人を学ぶことだ」という言葉がとても心に刺さりました。
教育を「学校内での出来事」という特定のものとして捉えるのではなく、日常生活での学びや出会い、子どもたちの心の動きなどより広い視野での関りによって、新たな気づきや発見があるのだと感じました。
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