参加者体験談 山口大学3年 楠美紗子 〜もしも願いが叶うなら、どんな願いを叶えますか?〜
参加者体験談 山口大学3年 楠美紗子
こんにちは。GTPブログ担当の工藤(通称:たけ)です?
今回の参加者体験談でご紹介するのは山口大学3年(参加当時、現4年生)楠 美紗子(くす みさこ)さんです。
以前にも書いたことがありますが、GTPのプログラムは
参加する前で50%は完了している。
そのように思っています。
そう安くはない、留学費用。
そう低くはない、「英語で海外で教育実習をする」というハードル。
日本と比べて、そう安全ではないかもしれないフィリピン。
じゃあ、なぜ、自分は行くのか?
そう問われた時に、
「なんとなく…」では済まされない、自分の答えを用意すること
が最初のハードルなのではないかと思うからです。
楠さんが参加を決めたのは、
大学2年生(2回生)の夏
です。
しかし、、、参加したのは
大学3年生が終わる春休み
になります。
一体、
1年半のもの間に
何があって、GTPに参加する決断することになったのでしょうか?
はっきり言って、この文章、泣きます。
どうぞ最後までお付き合いください。
1、なぜGTPへの参加を決めたのですか
①参加を決めたのは大学2回生の夏
私がGTPの参加を決めたのは、大学2回生の夏。
同じ学科の友達が、大学でGTPキャラバンを開いてくれました。その時、目をキラキラ輝かせて発表をする友達を見て、私も実際に行って、自分の目で確かめたいと強く思い、GTPに興味を持ち始めました。
私はチャレンジすることが好きで、とにかくなんでもやってみたいという気持ちがあります。海外に行ってみたいという気持ちもあるし、将来は学校の先生になりたいという夢もあります。
私にとってGTPは、「やりたい!」と思っていたことを同時に叶えてくれるものでした。
参加を決意した2回生の秋、私はGTP参加が決まり、ワクワクしていました。
しかし、参加が決まってすぐに、
父が他界しました。
家族が苦しんでいる状況で私だけが楽しみを求めていいのかと思い、悩みに悩んで今回の参加を断念しました。
②高校生の頃の夢は保育士
そもそも私は大学に通うつもりはありませんでした。
私は、高校を卒業したら短期大学に行くか、就職をする予定でした。私の学科は商業科だったため、模試やセンター試験も受けたことがなく、大学に進学するという選択肢はありませんでした。
私は、
中学校の頃からの夢だった保育士
を目指していました。
保育士なら、地元の短期大学に通えば資格を取ることができました。しかし、高校3年生になってから、私の考えは徐々に変わってきていました。
私は幼いころから器械体操をしていますが、私が通うクラブチームに新しく小学生が入ってきました。その子たちに演技の指導や長期休みの宿題の援助をしているうちに、小学校の先生もいいなと考え始めました。
それを担任の先生に相談すると、一緒に大学を探してくれました。
しかし、
ここで強敵だったのが私の母です。
母は、私が大学に行くことを大反対していました。自分の家庭があまり裕福でないことも分かっていたので、自分がわがままを言っているのも重々承知でした。
私は3人兄妹の末っ子ですが、上の2人が大学に行きたくても行けなかったことも知っていました。でも、2人は私が大学に行くことに賛成してくれて、母の説得に協力してくれました。
父は、行かせてあげたいけど行けとは言えない葛藤で悩んでいたと思います。
毎日毎日親と喧嘩になって、どうすれば分かってもらえるのかが分からず、泣いていたのを覚えています。
その時、担任の先生が、国立大学の「AO入試」を進めてくれました。国立大学であれば、私立大学ほど学費もかからないし、AO入試であればセンター試験を課さないので、商業の勉強しかしていない私でも受験することができました。
この話を私と担任の先生対母で行い、母も渋々納得してくれました。そして、AO入試で見事合格することができました。入学料も兄が負担してくれ、家族みんなの支えがあって私は今大学に通うことができています。だから、
社会人になったら絶対家族に恩返しをする
と決めていました。
③父の他界後
しかし、父への親孝行ができないまま、ありがとうも言えないまま、父は逝ってしまいました。
父が他界してから、家庭の状況は一気に苦しさが増しました。
それは、私の両親が自営業を営んでいたからです。私の両親は中華料理屋でした。父は、結婚する前からお店を出していて、結婚後は2人でお店を経営していました。
私たちも、幼いころから家にいる時間よりもお店にいる時間の方が長かったように感じます。学校が終わるとお店に帰り、兄妹3人で両親の仕事が終わるのを待っていたり、手伝いをしたりしていました。
お店で過ごした日々は、家族にとって大事な思い出になっていました。そんな私たちの思い出が、ぼろぼろと崩れ落ちるようでした。
父が亡くなってから、母は職を失いました。これからは、兄妹3人で母を支えなければならない。どうしよう、どうしようと何度も3人で話しました。
店を売却する、という話も出ましたが、私たちにとってお金には代えられない思い出がいっぱい詰まった場所を、そんな簡単に手放すことはできませんでした。
このような苦しい状況に置かれた家庭を、
少しでも支えられるよう、私はGTPへの参加を断念する
という選択をしました。
それから、毎日バイト尽くしの私は日が経つごとにGTPへの参加意欲が薄れ、普段の平凡な一日に戻ってしまっていました。でも、どんなに忙しくても頭の片隅にはGTPの存在があり、「行ってたら何か変わっていたのかな」と考えていました。
④改めてGTPを意識した友達の存在
私が参加する予定だった5th batchに、渡航前にSNS上で仲良くなったしゅんすけという友達がいました。
しゅんすけは、同じ飛行機に乗ろうよと言っていたメンバーの一人でした。パスポートの取り方や延泊について話し合い、GTPの楽しみを共有し合っていました。
私が参加を断念したことを話すと、
「ほんならGTPから帰ってきたら報告会したるわ!」
と言ってくれました。
5th batchが終わり、初めましてなのに初めてじゃない気がしてならないしゅんすけに会いに、大阪まで行きました。しゅんすけはGTPについて熱く語ってくれました。
(5thに参加時のしゅんすけさん)
授業風景、子どもたちの笑顔、生活の様子、すべての写真が一枚一枚、私に感動や衝撃を与えてくれました。
なんだかこのチャンスを逃してはいけない気がして、やっぱり参加したいという思いがこみ上げてきました。一度は諦めたGTPでしたが、1年越しに参加をすることができ、あの時のワクワクが戻ってきたようでした。
2、実際に参加してみてどうでしたか?
参加が決まってワクワクが止まらなかった私の期待を不安に大変換した出来事。それは、渡航前のSkypeレッスンでした。
私は、英語があまり得意ではありません。中高生のころは教科書の文を丸暗記して、英語のテストを回避していたくらいです。外国人と話す機会もあまりなく、自分がどれだけ英語の能力があるのかも分かっていませんでした。
実際にNILSのメンターとレッスンが始まり、自分の英語力の無さに驚きました。何を言っているか全然わからない。向こうの話は理解できても、自分が英語で話せない。自分の思いを相手に伝えられないことが、私にとって大きな衝撃でした。
それから、渡航日が近づくにつれ私の不安はどんどん大きくなりました。この時期はコロナの影響で飛行機の便もなくなり、GTPもこのまま中止になるんじゃないかなと考えていました。この時の私は、正直行くのが怖かったです。コロナを理由にGTPから逃げる弱い自分がいました。
そんな私の不安を一気に吹き飛ばしてくれるサポメン、参加者に出会いました。みんなと初めて顔を合わせた日。笑顔が素敵な人ばかりで、この人たちと2週間過ごしていくことがとても楽しみでした。
一番苦労したのは、やはり授業。
言語が通じない子どもたちに、どのように伝えていくか必死に考えました。日本の教育実習は何度も行っていたので、子どものつぶやきから授業を展開したり、子ども主体の授業を意識して行えていました。
しかし、言語が通じるという当たり前が、海外では当たり前でないため、とても苦戦しました。私は、自分の苦手な分野を補うため、視覚から子どもたちの興味を惹こうと授業を作り始めました。
私は、「tie dye(タイダイ:Tシャツなどを縛って、染めること)」というMAPEHの授業(MAPEHとはMusic, Arts, Physical Education, Healthを略したもので、日本の実技教科をひとまとめにした教科のこと)を行いました。
マテリアル(教材)に情報を書いていることで、私も授業を進めやすいし、子どもにとっても理解が深まりやすいということを学びました。
実際に子どもたちの前でタイダイ作りました。絞り方が変わることで色の付き方も変わることを見て、子どもたちは感動していました。
また、子どもたちが必死に私の授業を受けている姿や、私に分かるように表現を変えて説明してくれる姿を見て、好奇心溢れる子どもたちだなと感じました。
休み時間も、「Teacher Misako!」と笑顔で駆け寄ってきて、私たちを囲んでいました。言葉が通じなくても、心で通じることができたと感じることができました。
また、私がセブで感じたことは、すべての子どもが学校に通えるわけではないということ。私は、幼いころから当たり前のように学校に行っていました。
しかし、フィリピンにはストリートチルドレンが多くいました。物乞いをしてくる子どもに対し、何の声もかけられませんでした。その時、何かしてあげたいのに何もしてあげられない自分が不甲斐なく感じました。
GTP中、涙涙の2週間だったように感じます。
英語が聞き取れなくて周りについていけない気がして、涙を流したことも。
授業が上手くいかなくて涙を流した日も。
子どもたちと別れるのが悲しくて涙を流したことも。
こんな素敵仲間に出会えて涙を流したことも。
感情がついていけないくらい、濃い2週間でした。
3、GTPを終えて、これからどうしていきたいですか
①自分の思いを伝えるということ
私は、人の話を聞くのが大好きです。しかし、相手に自分の思いを伝えることが苦手でした。
GTP中はディスカッションをしたり、自分たちで考えたりする場面が多くありました。その中で、相手に自分の考えを伝える大切さや、どうすれば相手に分かりやすく伝えられるのかを考えることができました。
私はこれまで、自分のことを話して相手にどう思われるかをすごく気にしていました。だから、自分の考えを話すのが苦手でした。
でも、GTPの仲間たちは、みんな親身になって私の話を聞いてくれました。
たった2週間なのに、自分のすべてを理解して受け入れてくれたような、不思議な感覚でした。
今でもみんなで集まったり、一緒にオンラインで勉強をしたりしていますが、私の安心できる居場所だと感じています。
「何か新しいことはじめようよ」と仲間と話し、GTPが終わってから日記をつけるようになりました。今でも毎日書き続けています。
最近はSNSで自分の考えを発信するようになり、自分の中で大きな成長だったのではないかなと感じています。最近はTwitterで新しいアカウントを作成しましたが、それがバズったこともあり、改めてSNSの発信力を感じました。
SNSで自分のやりたいことリストなどを発信することで、私にとっても意識づけになり、口だけではなく行動に移すようになりました。
1月にTOEICを受けるという目標を持ち英語の勉強を始めたり、教育について考えを深めるためにオンラインイベントに積極的に参加したりしています。
もちろん、友達との時間も大切にしたいと思っています。昔は週6で毎日バイトをはしごしていたこともありました。
私はスケジュール帳を遊び(ピンク)、バイト(黄色)、行事等(緑)で色分けをしています。昔は黄色だらけのスケジュール帳でしたが、今はピンクを増やしていき、友達と会えることを楽しみに日々頑張っています。
バイトばかり優先せず、今こうして友達と関われることに感謝して、楽しみの時間をもっともっと増やしていきたいです。
②チャレンジを続けるということ
GTPに参加して、自分から行動することで、見える世界が変わってくるんだと感じました。
自分が今まで見てきた世界はすごくちっぽけなもので、外に出ると知らない世界が大きく広がっていました。もっともっと知りたい、と思えるようになりました。
知らないことを知るってすごく不安だけどすごく楽しいことだなと感じました。きっかけを与えてくれた仲間、出会ってくれた仲間に感謝し、これからもチャレンジし続けることを大事にしていきたいです。
そして、その経験を相手に伝えられるようになりたいと強く思いました。
③家族に恩返しをする
教員採用試験にも合格し、私は来年から小学校の先生になります。
高校3年生の時に、私を大学へ行かせてくれた家族。亡くなった父と交わした約束。その家族のやさしさを、今でも忘れません。
私は、「絶対に先生になるという夢を叶えて、家族に恩返しをする」という、スタート地点に立つことができました。
助けてもらってばかりだった末っ子の私ですが、これからは家族の笑顔や、幸せを増やしていけるような存在になりたいと思っています。
④学校一のパワフル教師になること
私は小学校教師として、狭い世界にとらわれない子どもたちを育てていきたいと考えています。
私は田舎で生まれ育ちました。もし大学に通わなければ、もし県外へ出なければ気がづけなかったことや経験できなかったことも多くあると思います。
それくらい、私は多くの経験やチャンスに出会いました。この経験やチャンスを積極的につかみに行くことができる、そんな子どもたちを育てていきたいです。
学ぶことって楽しいことなんだと子どもたちにも伝えたいです。そう思ってもらえるよう、自分自身も日々の中にある経験やチャンスを自分のものにしていきたいと考えます。
私の目標は学校一のパワフル教師になること。笑顔いっぱいで、元気な子どもたちを育てます。そして、これからも自分の笑顔で周りを笑顔にしていけたらいいなと願っています。
いかがだったでしょうか?
この文章を楠さんに書いてもらう中で、何度も原稿とにらめっこし、一緒に作り上げてきました。
お父さんが他界されたこと。
そもそも高校生の時には先生を目指していなかったこと。
最初は詳しく書いていなかった文章も、プライベートなことをズカズカと土足で進入し、大変失礼なのですが「それで、それで?!」と話を聞き出し、書いてもらいました。
プライベートなことはどこまで書いていいのか難しいところではあるのですが、
楠さんが作り上げてきたストーリー自体が学び
であり、この文章が
他の誰かに勇気を与えることになれば
と、赤裸々に文章を書いてもらうことを承諾してもらいました。
そして、4月に教壇に立たれる楠さんには
この歌を贈らずにはいられません。
ゆずの「逢いたい」
です。(なんていい曲をゆずは作るんだ。。)
「逢いたい」が作られる1年前の2008年、北川悠仁さんの父親が亡くなったそうです。北川さんはその事実を受け入れて曲を作ったとのことです。
この歌詞のどこを読んでも響いてしまうのですが、
外は花びら 色づく季節
今年も鮮やかに咲き誇る
あなたが好きだったこの景色を
今は一人 歩いている
を贈りたいと思います。
そして、
溢れて溢れて 声にならない
あなたを空に思い描いた
泣いたり笑ったり 共に歩んだ
足跡 永遠(とわ)に 消えはしないさ
足跡(中華料理屋さん!)は永遠に心の中にありますよ。
もしも願いが叶うなら
どんな願いを叶えますか?
この歌詞の後に
「僕は迷わず答えるだろう もう一度あなたに逢いたい」
とあるのですが、楠さんが高校3年生の頃に、
行かせてあげたいけど、行けとは言えない葛藤で悩んでいた
お父さんにとって、
いや、美紗子。迷わず自分の道を進みなさい。
と天国のお父さんは楠さんに言っているように私には思えてしまいます。(私の完全なる妄想です。)
なぜならば、
心(ここ)にいるから
です。
教員採用試験、合格おめでとうございます!!!
ようやくこのスタートラインに立つことができたのも、
お父さん、お母さん、お兄さん、お姉さんのおかげ、高校3年生の担任の先生のおかげ、出会った仲間達のおかげですね。
行ってらっしゃい!!!
学校一のパワフル教師を目指して頑張ってください???
※ゆずの「逢いたい」をBGMに、今一度、熟読されることをオススメします。
最後までお読みいただきありがとうございました。
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